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イッピーテイスト

変な時代につむぐこの世の贅沢

 ←再開します →沈黙
人生はつかの間だと思う・・・

近頃、ますますそう思う。



去年の夏から

紀伊半島に引っ越したおかげで

時代の喧騒からは遠ざかっている。



もちろん時の政権に左右され

便利になったぶん、山が削られ

田畑が住宅にばけてはいますが

それでも目を閉じればいつだって

潮風に吹かれ

木々の葉連れや

ちちと鳴く鳥のさえずりに誘われ

心は難なく

奥熊野へと旅だてるのです。

murasaki.jpg



熊野には山と道、谷、川、滝があり

いくつもの時代の移り変わりとともに

行きかう人々の道行きとともに

そこに鎮座まします山々の懐で遊ぶ。


熊野遊びの醍醐味は

圧倒的に高く広がる空の下で

鬱蒼と切り立つ木立のへりに

申し訳程度につづく小道から

何気に眼下をのぞけば味わえる。



川は音がするだけで、

ぞっとするくらい下のほうにあり、

落ちてしまえば死ぬ。

道はあれども次の景色はみえてこず

ぎょっとするくらいに

曲がりくねっている。

それなのに空は高く

吹く風はここちよく

運がよければ移り行く雲が

一刻たりとも同じではない

固唾をのむくらいに美しい

無常の色と姿を

演出してくれるし

坂をのぼりきれば、そこでは

いきなり眼前に黒潮みつる海がひらけ

太平洋にきらきらときらめく

無数の微細なさざめきを

拝んでかえれるかも知れない。

parrish_450.jpg


だからこそ

自分の小ささを感じることができるし

ああなんて自分は小さいのだろう

そんな小さい自分が

街で何を悩んでいたのだろうかと

途方にくれつつも

日ごろの煩わしさが

しんそこ馬鹿馬鹿しくなる。

吹き抜ける風のなかで

足元に咲く一輪の花が

風にゆれているのを見つけたら

急に切なくなる。

だがしかし、

なんと、はかなく頼りなげに見えても

野花はそこでしっかりと根をはり

生きている。

枯れいくことなどものともせず

そこにありつづける姿から

弱きものの強さをも

見出すことができたなら

いつしか人心は

神々しさに満たされる。

そして一つ、二つと

執着の正体を見るやも知れない。


それは花に群がる蜂や

虫の死骸にまとわりつくアリとなり

弱肉強食の浅ましさと

健気さを見せてくれる。

だから手放せなかったのかも知れない。

それとて小さきこと、

切なきこと、身悶えすることは

まだほかにもたくさんあるではないか。

さぁひとまず空を仰ぐのだ。



ここでは山も空も海も、人中をこえ

圧倒的にでかく、人々は身の丈を

わきまえることができるからこそ

古より熊野へと詣でたのだと思う。



空海も、熊楠も、熊野に入り

この空を幾度となく仰ぎみただろうか

などと浪漫あふれる山深き熊野から、

そろそろ我にかえれば、窓の外から

ちょっと時折、かすかに聞こえてくる

無人駅を通過する列車の響きが

コトコトコトと妙にレトロである。

20060130003018.jpg


平地を走る線路の向こうに

旧の国道があり

沿道に植えられた松林からは

ちろちろと、

もう海が見え隠れしている。



それにしても静かである。

部屋にたたずんでいても

裏山に鳴く鳥のさえずりが

上空をいく飛行機音のなかからでも

聞き分けられるくらい静やかである。


山を切り開いた住宅街は

坂道だらけだが、それも悪くはない。

私を訪ねてくれる友人は

誰もが一度は迷う。


小さきものたちが暮らす家の

近しき辺りのところどころに

海の見えるポイントがあり

毎朝、水平線をながめては

「あつ今日は海、青いね」とか

「白いね、空も白いもんね」とか

「葉っぱいっぱい。赤いの咲いた」

という会話と景色を愛でながら

幼子と二人して自宅から保育所まで

おててつないで住宅道をゆくのです。

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